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ごあいさつ

私が小学1年生の頃の夢は「大工さんになること」でした。高校卒業後すぐ大工である父の元で修行を始めますが、21歳の時からは介護の仕事に従事し、24歳の時には自転車で日本を縦断します。通りかかった建設現場から漂う木の香りに「自然から離れられないな」「やっぱり自分は大工なんだ」という想いが湧き、修行を再開。そして2015年、独立を決意し、和建築工房を設立しました。今後は「くらしのもと」をコンセプトにパーマカルチャーを取り入れた人々が集える場所をつくりたい。この命尽きるまで、夢は終わりません。
和建築工房代表
忍田孝二





千葉県鴨川市で出会った2人の若者は、この「結」という相互扶助の関係の中で生活をしていました。何をするにも、お金ではなく人のちからが人を引き寄せ、場ができる。そういった関係を垣間見て、私もそんな場所を作りたいと、より一層思うようになりました。



墨付けをするにあたって、番付というものがあります。建物のどこに材料を設置するのかが分かる目印で、建物正面から見て右奥から「いろはに...」と振っていきます。人生の奥深さを表現するいろはうた。果てしない未来に気持ちを込めて墨を入れ、次世代の大工に恥じぬよう刻んでいくのです。



現在の「大工」は嘗て「右宮」と呼ばれていました。飛鳥時代に聖徳太子が組織し、都造りのための建築で「木」に関わる仕事を「右宮」、「土」に関わる仕事を「左官」と呼んでいたという説があります。一般の職人が「大工」と呼ばれるようになったのは江戸時代頃からと言われています。
住まいへの想い